語りえぬものを語る 猫は後悔するか
- 思考とは現実を分解(分節化)し、それらを自由に組み合わせることである
- 分節化されたものには、常に組合せの可能性が開かれている
- 引越しのときに、部屋の形が描かれた紙の上で家具の形に切られた複数の台紙を置いて配置を考えたりするが、これこそが分節化と組合せの操作
- 分節化されていないものを思考することはできない (逆に、何かを分節化した瞬間、それは思考可能なものになる)
分節化をできない人間が存在したとすると、その人は何も考えることができず、ただただ流れる現実を見るような感覚を覚えるはずである
その人が起こす行動は、ただただ反応的なものになると想像される (寝ている人をイメージすると良いのかもしれない)
その人が毎日ご飯を食べていれば、ご飯に反応するようになるのかもしれないが、それはあくまで反応であって思考ではない
猫も同じ