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「真の自分」なんてものは存在せず、自分の形容詞を羅列したときにボンヤリ見えるのが自分で、それを超えるようなものはない
国産万年筆(細字/極細字)の感覚
国産万年筆(細字/極細字)の感覚
- プラチナは他社より太い
- プラチナの極細でも、なお他社より太い
- セーラーは他社と比べてカリカリ感が強い
- パイロットはサラサラ、プラチナはシットリ
- パイロットが一番安定した線が書ける
- プラチナは少し線が掠れる・飛ぶ時がある
- パイロットの極細は本当に細い線が、掠れることなく書ける (おまけにペン先が乾きにくくて、この品質を量産できる体制って凄い)
紙とパソコン
- パソコンと比較した紙の利点は、単機能
- 余計なことに気を取られることがない
- 逆に、紙に書きつつスマホを近くに置いておくのは良くない
万年筆とボールペン
- 万年筆の利点は、いちいち本体・レフィルを買い足さずとも、インクさえあれば長期利用できる点
万年筆に求める条件 (実用面)
- 極細であること:文字に関しては、小が大を兼ねる
- 回転吸入式であること:インクの容量は多い方が良い
- 透明軸であること:インクの残容量が分かる
- 掠れにくいこと:どのような角度でペンを当ててもインクが出ること
- 軽いこと:重いとコントロールがしにくい
- 硬いこと:ペン先が硬い方が、思う通りに線が書ける
瞬考
- 瞬間的に思考するには、暗記が大事
- 四季報を写経・暗記せよ!
- 複数のインプットに対して、①共通する構造 (メカニズム) を読み取ったり、②分類してみたり、③差分を抽出したりするのが大事
- 単体のインプットに対して、過去・環境変化・現在/打ち手を考えるのが大事
- 会社相手なら、企業史と業界史の両方を気にするべし
- 手間暇惜しまず、オリジナルなインプットを作ることも大事
- 知られていないが知っているべきことを突くのが、面白い仮説
- スペシャリストを束ねるビジネスプロデューサーとなることが、著者おすすめのキャリア
著者がBCG出身のせいか、内容が高松智史の本に良く似ていて、例えば両者共に暗記を強く推している。
英語にしろ技術にしろ、使っている内に勝手に覚えるものであって、暗記のための暗記は苦手なので悩ましい。
各種メモ
成長
- 「できてるフリ」をするのが、自分を変えるためにまずするべきこと
- まずは場数が効いてくるので、場数を確保するためのエンジンを持つこと
- 自分の周りに目標となる人がいることが大事
お金
- どこかで合理的な勝負に出ないと、大きく稼ぐことはできない
- リスクの少ない活動:①確率は低いが当たれば大きな活動、②そこそこの確率で、そこそこの大きさを狙える活動
処世術
- 社会のルールを意識しつつ、自分のルールに従うことが大事
万年筆
- 良い筆記具を使おうとしたとき、ボールペンだとレフィルを買い換えるのが面倒 (+海外だと手に入れにくいこともある) なので、万年筆
- 記録や速記性は紙よりもパソコンの方が優れるが、考えるには紙の方が良い (ゼロ秒思考; パソコンと違って変に気を取られることもない)
- 評価軸:ステータス性、デザイン、書きやすさ、書き味、速記性、太さ/細さ、インク容量、サイズ感、重さ
- 小さい文字の方が①素早く書くことができ、②一枚の紙にある程度の情報を落とし込め、③周りから見られても内容が分かりにくいという利点があるので、(極)細字が良い
- ペリカン=フワフワ、セーラー=程よい、パイロット=カリカリ、プラチナ=ドスコイ、パーカー=鉄板インクどばどば、ウォーターマン=程よい
- インクと紙によって、滲み方・線幅は、本当に大きく変わる
- 線のスキップが起きる万年筆はストレスが溜まる
- 和製万年筆の利点:①ペン角度の許容範囲が広い、②インク掠れが少ない、③極細の線が書ける
- 一週間くらい使わないと、書き味が安定しない
哲学
- 人生の意味を問うのはナンセンス (無限退行)
- 人生は結果的にこうあるものでしかない (進化的に安定な戦略)
- 人生は多かれ少なかれ、ランダム任せの成り行きのものにならざるをえない
- 人生における行動価値関数は、生存・繁殖に重きが置かれている
職務経歴
語りえぬものを語る 真理の相対主義は可能か
- 「絶対的なものは存在しない」と絶対的な主張をしているのが、相対主義者であった
- 確かに「美」は人それぞれで絶対的ではない一方で、「真理」は定義からして人それぞれあってはいけないように思われる
- 加えて、「美」と「ビューティフル」についても、指している対象は微妙に異なるように思われる
- 「概念によって絶対性は異なるのではないか」と、「翻訳前後の文章では違う意味を持ってしまっているのではないか」という問い
そもそも「完全絶対主義者」「完全相対主義者」のような、極端なことを考えているのが問題の根源に思われる。性悪説と性善説にしても、人と環境に依るだろう、程度の答えが現実を上手く表現しているのではないか。
だから、「概念によって絶対性は異なる」だろうし、「翻訳前後の文章で違う意味を持って」しまうこともあるだろうし、でもそれで? と言いたくなる。
著者からすると、そんな考えは「分かってないな」となるのだろう。分かっていないのはどこか。
絶対主義者は定義からしてそんな曖昧な態度を許しはしないし、相対主義者は定義からして絶対主義者を認めることはできない(だから相対主義を貫き切れない)のだーーこれこそが問題ということになるのだろうか。